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  • 「見捨て体験」と死者の顔の反復中沢啓治「はだしのゲン」にみるトラウマ記憶の問題と現代日本 社会
  • 山本 昭宏

はじめに

「はだしのゲン」の主人公「中岡元(以下「ゲン」と表記)」ほど、感情的 な主人公は珍しい。「ゲン」は、笑い、泣き、歌い、怒る。もっとも、感情的という だけならば、少年マンガの主人公としてはよくある話なのかもしれない。しかし、「ゲン」は人をだますこともあれば、暴力をふるうこともあり、さらに興味深いこ とに、天皇と軍国主義の過去と現在に対して激しい怒りをあらわにするのであ る。つまり、感情の矛先が、少年マンガにありがちな、わかりやすく抽象的な悪 に向いているのではなく、具体的な歴史的出来事とそれをもたらした集団に向 いているのだ。具体的な歴史的出来事とは、いうまでもなく、原爆投下前後の 広島の状況である。

1945年8月6日当時、広島には約35万人の市民や軍人がいたと言われる。そ のなかには、朝鮮半島、台湾、中国大陸が出身の人々がおり、少数ではある が、アメリカ軍捕虜などの外国人も存在した。原爆による死者の数を正確に決 めることはできないが、1945年12月までに、約14万人が死亡したと推計されて いる。こうした被爆の惨禍のなかを、主人公の「ゲン」はどのように生き抜いた のか。そしてその過程で、いかに自らのトラウマ記憶と向き合ったのか、それを マンガと作者の中沢啓治の体験に即して考察することが、本稿の主眼である。

本稿の問題意識を明確にするため、まずは先行研究を整理しておきた い。21世紀に入って、日本では「はだしのゲン」に関する論文・評論が急増した。その端緒は、メディア史研究者の福間良明とマンガ研究者の吉村和真による共 編著『「はだしのゲン」がいた風景:マンガ・戦争・記憶』(梓出版社、2006年)で [End Page 178] ある。「はだしのゲン」という作品は、学校図書館などに定着したことから、誰も がその名前を知っているマンガだが、学術研究の対象にはなってこなかった。そうした状況のなか、両者の研究は、「はだしのゲン」の成立過程、掲載媒体の 特性、マンガ表現の特徴、物語構造、受容の様態などを解明したのである。とくに、「はだしのゲン」の掲載媒体の変化と表現内容との関係について論じた福 間良明の論考は、メディア史的視点からの「はだしのゲン」論の達成である1 。ま た、「はだしのゲン」のアメリカでの受容と、「はだしのゲン」に描かれたアメリカ 像についてはChristine Hongによる「Flashforward Democracy: American Exceptionalism and the Atomic Bomb in Barefoot Gen」(『Special issue of Comparative Literature Studies』第46巻第1号、2009年)がある。さらに、日本のポピュラー文化においていかに被爆者が描かれてきたのかという観点 から「はだしのゲン」に言及したものには、山本昭宏「被爆者像のステレオタイ プ化に関する一考察:映画『純愛物語』からテレビ特撮番組『怪奇大作戦』まで」 (『立命館言語文化研究』第28巻第3号、2017年)がある。ここでは、「怒る被爆「はだしのゲン」の特徴が、60年代のマンガ表現の潮流を受け継い でいることが指摘されている。

これら、社会学者、マンガ研究者らによる研究とは別に、「はだしのゲン」に言及した論考も存在する。テッサ・モーリス・スズキは、 『過去は死なない:メディア・記憶・歴史』(岩波書店、2014年)のなかで「はだ しのゲン」を取り上げ、重要な指摘をしている。それは、「はだしのゲン」で繰り 返し描かれる残酷描写は、かならずしもトラウマ記憶をそのまま再現している わけではなく、トラウマをいかに表現するかという課題が、「はだしのゲン」のあ とに残されているという指摘である。トラウマ記憶の表象可能性と不可能性は 重要な論点だが、本稿ではそのような理論的問題には深入りせず、「はだしの ゲン」というテクストに描かれた表現に即して、原爆とトラウマの問題を考察す ることにしたい。「はだしのゲン」の物語におけるトラウマの問題については、依然として検討の余地が残っているように思われるからである。

近年隆盛を見せつつあるトラウマ研究を開拓したキャシー・カルースは、トラウマ研究の課題が「トラウマ的出来事を生き延びた人びとが、彼らの直面し た現実をわれわれに伝えようと苦闘しているとき、その現実の迫力や真実性を そぐことなく、トラウマに関する課題を解決していかねばならないという点」に あると述べた2 。しかしながら、「はだしのゲン」の物語を追うと、「ゲン」がトラウ マ的記憶にわかりやすく悩まされる場面は、決して多いとは言えない。主人公 の「ゲン」は、生き延びたことに罪の意識を表明することもなければ、なぜ自分 が生き延びたのかという、生存の意味を問うようなこともしない。そうした、ある 意味ではわかりやすいトラウマ記憶は他の登場人物たちを通して描かれるの者」という点から [End Page 179] である。もっとも、「ゲン」のトラウマ記憶が、まったく描かれていないというわ けではない。本稿では、わずかに描かれた「ゲン」のトラウマ記憶を分析するこ とになるだろう。

以下、キャシー・カルースの問題意識に刺激をうけながら、以下の二点に着 目し、「はだしのゲン」を分析する。一点目は「はだしのゲン」の主人公「ゲン」が物語内で繰り返し想起する「見捨て体験」であり、二点目は、死んだ家族と同 じ顔をしている生存者の問題である。さらにその上で、「はだしのゲン」を読む ことの現代的意義について議論したい。

中沢啓治の体験と「ゲン」の体験の相違

本論に入る前に、中沢啓治と「ゲン」の経験について整理しておかねば ならない。中沢の体験と「ゲン」の体験は、どこが同じでどこが違うのだろうか。まずは、中沢啓治の自伝『「はだしのゲン」自伝』(教育史料出版会、1994年)か ら、中沢の被爆体験を確認しておこう。

1945年8月6日、中沢啓治は国民学校への通学中に被爆した。たまたまそば にあった塀が熱線を遮ってくれたため、一命をとりとめたが、すぐ近くにいた近 所のおばさんは吹き飛ばされ、黒焦げになって死んでいたという。異常事態に 驚き、なんとか家に帰ろうとする途中に中沢が見たものは、男か女かわからな いほど黒焦げになった人たちが、静かに、そしてゆっくりと、水を飲み、体に刺 さったガラスの破片を抜く姿だった。中沢はこのときのことを、「人間は、一気 に極限状態の修羅場に叩き込まれると、なにひとつ感情のこもった言葉を発せ ず、黙々と本能的な動作をするだけなのだ」と回想している3 。家へと急ぐ中沢 だったが、炎が行く手を阻んで家に戻ることができない。泣きわめいていると 隣の家のおばさんが、母親の居場所を教えてくれた。母親は家から離れた路上 に座り込んでいた。中沢が母親と再会すると、母親はなぜか手に赤ん坊を抱え ている。臨月で膨らんでいたお腹も、もとに戻っていた。驚くべきことに、中沢の 母親は、原爆のショックで産気づき、路上で女の子を出産していたのだった。そ して、生活が少し落ち着いてから、中沢は母の口から家族の最期を聞くことに なる。中沢の姉は太い柱につぶされて即死、父親と弟は、倒壊した家屋に挟ま れたが抜け出すことができず、迫りくる炎に焼かれて死んだというのである。

以上が、中沢が物語る「被爆体験」である。これに対して、マンガ「はだし のゲン」で繰り返し描かれる原爆投下局後の広島の描写はどのようなものだろ うか。

「ゲン」は国民学校への登校中、近所のおばさんと会話している最中に、被爆する。近くにあった塀によって熱線が遮られたために助かったが、話してい たおばさんは即死だった。ここまでは中沢啓治自身の体験と同じである。その [End Page 180] 後、自宅に帰ると、「ゲン」の父親、姉「英子」、弟「進次」は、原爆による突風で 破壊された家屋の下敷きになっていた。助かった「ゲン」と母親は、なんとか倒 壊した家屋から家族を引き出そうとするのだが、上手くいかない。そうしている うちに、火災が迫って来る。「ゲン」も母親も、ここに残って家族と一緒に死のう と決めるが、父親はそれを許さない。自分たちを置いて、早く逃げろと諭すので ある。痛い熱いと泣く弟の「進次」の気を紛らわせようと、ゲンは瓦礫のなかか ら軍艦の模型を取り出し、「進次」に手渡す。そのあと、「ゲン」は母親と逃げよ うとするが、母親は泣き叫び、動こうとしない。家族が生きたまま炎に包まれて いく様子をただ見守ることしかできない母親は、突如笑い出す。「ゲン」は「う わーん、かあちゃん気がくるったんか」と心配することしかできない。そして、偶 然通りがかった知り合いの「朴さん」の助けを借り、正常な判断ができなくなっ た母親を引きずるようにして、その場を離れる。結局、「ゲン」と母親は、炎に包 まれて死んで行く家族を助けることはできないのだった。

上記のような中沢啓治の体験と、「はだしゲン」における「ゲン」の体験を比 べたとき、その相違点は一目瞭然である。中沢啓治は家族の見捨て体験を母か ら聞いており、直接見たわけではない。これに対し、「ゲン」は、彼自身が見捨 て体験の当事者なのである。つまり、中沢啓治は、母親から聴いた話と、自らが 経験した惨状とを合わせて再構成し、それを「ゲン」に目撃させたのである。そ れを描くことで、中沢啓治は家族の最期を追体験していたことになる。「ゲン」の見開かれた瞳は、目の前の光景を受け止めるためだろうか、いつも強く太い 線で描かれているが、それは家族の最期を想像上で見ようとした中沢自身の瞳 に重なっている。

中沢啓治と「ゲン」の体験の相違点に、「はだしのゲン」をトラウマの視点か ら読み解くカギがあるように思われる。父・姉・弟を見捨てたという「はだしのゲン」のなかで最も苛酷なトラウマ記憶は、中沢啓治が母親からの伝聞を再構成 した物語だということ。それは、中沢啓治自身がこの場面を繰り返しマンガに描 く際に、常に母親の視線にたって想像し、再現しようと試みたということを意味 する。なぜなら、当たり前のことではあるが、家族の最期を現実に見た者は、中 沢の母親しかいないからだ。次節で述べるように、「ゲン」の母親が死ぬ単行本 第7巻以降、「ゲン」が見捨て体験を想起するのは一度きりである。それは、中 沢啓治が母親の存在を介して「ゲン」の見捨て体験を描かざるを得なかったこ とと関係しているのではないだろうか。

重ねて述べるならば、中沢啓治自身が見捨て体験を直接経験してはいな いという事実は、フロイトに基づくキャシー・カルースの次のような分析と合致 する。それは、「死の威嚇に対して精神が取り結ぶ関係が衝撃となるのは、その 威嚇を直接体験したためではなく、その体験をリアルタイムで体験できずに逃 [End Page 181] してしまい、知識の中にきちんと登録できないという事実のためである」という分析である4 。中沢が母親の言葉を思い出し、それを手がかりにして、圧迫され 焼け死んでいく家族をマンガのコマのなかに描き続けたのは、いわば、中沢自 身が逃してしまった家族の死を、自分のものとして把握するための試みだった と理解することができるだろう。

被爆直後の見捨て体験

理解の範囲を超えた直視しがたい経験は、心理的防衛機制によって意識 の下に抑圧されがちである。しかしながら、それは完全に隠されるのではなく、なんらかの形をとってくりかえし表面化する。こうした記憶は、いつまでも生々しく、時には前後の文脈から切断された強いイメージとして表れる。それをトラ ウマと呼ぶならば、「はだしのゲン」において、主人公の「ゲン」が繰り返し思い 出すことになる原爆投下直後の場面は、まさにトラウマとして分析可能である。

では、「はだしのゲン」のなかの「ゲン」は、どのようにトラウマに襲われるの だろうか。ここでは、「ゲン」が家族を見捨てたトラウマ記憶に襲われる場面を 整理してみたい。「ゲン」だけでなく、母が思い出す場面や、母の話を聞いた兄 が家族の最期を想像する場面も存在するが、「ゲン」自身による想起に限ると、以下の6つの場面にまとめることができる。なお、時期がはっきりと特定できる ものは明記した。巻数の表記は汐文社発行の単行本のものである。

  1. ①:. 第2巻、父、姉、弟と再会するという願望充足の夢を見たあと。

  2. ②:. 第2巻、「進次」と瓜二つの少年「隆太」と出会ったとき。

  3. ③:. 第2巻、家族の死を確かめるために家の跡地を掘り返すとき。

  4. ④:. 第4巻、原爆投下から2年後の1947年8月、妹の「友子」の治療費を稼ぐ途中。

  5. ⑤:. 第5巻、小学校で「ぼくの家族」という作文を書く際。

  6. ⑥:. 第10巻、中学卒業後の1953年、「光子」の見捨て体験を聞いたあと。

このように整理してみると、見捨て体験を想起する「ゲン」が描かれた時 期は『週刊少年ジャンプ』掲載時が最も多いということがわかる(註1を参照の こと)。『週刊少年ジャンプ』のあとに掲載された『市民』『文化評論』『教育評 論』誌上において、「ゲン」が見捨て体験を想起するのは、わずかに2回だけな のだ。

計6回の想起について、まず指摘できるのは、『週刊少年ジャンプ』とい う少年誌での連載においては、読者に「ゲン」の苦しみを繰り返し説明する必 [End Page 182] 要があったということである。『週刊少年ジャンプ』での連載中は、「はだしのゲ ン」の単行本は出ていなかったため、途中から「はだしのゲン」を読み始めた 読者に対して、「ゲン」の原体験を定期的に説明する必要があったのかもしれ ない。さらに、目をそむけたくなるような原爆投下直後の惨状の描写は、雑誌に とってアピールポイントであったという側面も否定できないだろう。さらに、先 に指摘したように、中沢啓治が母親の視点に立つことで見捨て体験を書いてい たため、単行本の第7巻で「ゲン」の母親が死んだことにより、見捨て体験をマ ンガ化するための心理的契機が作品内から失われたことも関係しているかもし れない。

計6回の想起のなかで、最も重要だと思われるのは、最後の事例である。 「はだしのゲン」で最後に「ゲン」が自身の見捨て体験を思い出すのは、単行本の第10巻、「ゲン」が恋焦がれる「光子」と話す場面であり、そこで「ゲン」は、初めて全くの他人と見捨て体験を共有するのである。

ここで「光子」は、誰にも言わないと決めた秘密を「ゲン」に話し始める。以下、その場面を確認したい。「元くん、う、うちゃ人を二人も殺した殺人者なんよ」と話し始めた「光子」は、話し終えて「ううう、いまもこの耳底で苦しんで死ん で行く母と弟の声が響いてくるんよ」と苦しむ。「光子」の体験は、以下のように 整理できる。「光子」は原爆が炸裂したとき、偶然防空壕のなかにいて熱線を 浴びずにすんだ。防空壕から這い出すと、熱線で皮が焼けただれた母と弟がお り、三人で逃げようとしたのだが、母も弟もやけどがひどく歩くことができない。母親を背負い、弟をひきずるように歩くのだが、どうしても前に進むことができ ない。このままだと自分も焼け死んでしまう、本能的にそう悟った「光子」は、母と弟を捨てて逃げ出した。炎のなかから聞こえてくる母と弟の声を振り切っ て逃げたのである。それ以来、「光子」は自分を責めて生きてきたというのであ る。ここで、自らの見捨て体験を初めて他者に伝えようとしている「光子」は、トラウマ記憶を物語に変換していることがわかる。そして、それを聴いた「ゲン」は「わしも光子さんと同じ殺人者じゃ」と述べる。その場面で、「ゲン」が目にし た投下直後の惨状と見捨て体験とが、マンガのコマのなかで反復されるのだ。

この場面での二人の行為は、いったいどのような意味をもっていたのだ ろうか。この場面で、「ゲン」が自らの見捨て体験を説明する際に、「光子」が口 にした「殺人者」という言葉を借用していることは重要だろう。「光子」は彼女の 見捨て体験を、「うちゃ人を二人も殺した殺人者なんよ」という最も苛酷な言葉 で振り返り、一連の物語として語ることでトラウマを自分で治癒しようとしてい る。そして、「ゲン」はそれに耳を傾けることで「光子」の回復過程に関与する。加えて、「ゲン」は、家族を見捨てた「殺人者」であることを「光子」を共有するこ [End Page 183] とで、結果的に自らのトラウマをも治癒しようとしている。これは一種のセラピ ーなのだ。

単行本で10巻、約15年に及んだ連載の最終盤で、「光子」に促され、彼女の「殺人者」という理解を踏襲することで、「ゲン」は自らの見捨て体験によう やく言葉を与えることができた。ここで再度、キャシー・カルースの言葉を確 認しよう。彼女はトラウマ研究の課題が「トラウマ的出来事を生き延びた人び とが、彼らの直面した現実をわれわれに伝えようと苦闘しているとき、その現 実の迫力や真実性をそぐことなく、トラウマに関する課題を解決していかね ばならないという点」にあると述べている5 。「光子」と「ゲン」が見捨て体験を共有する場面で、「殺人者」という言葉が見出されたのは、この二人が「その 現実や真実性をそぐことなく」伝え合おうとした結果にほかならない。もっとも、「殺人者」という言葉・認識を与えられたことで、「光子」と「ゲン」のトラウマが完全に治癒したとまでは言えない。しかしながら、二人は自らのトラウマ 体験と向き合う方法をとりあえずは獲得したのであり、そうであるがゆえに、これ以降、「はだしのゲン」の物語のなかで見捨て体験が想起されることは なく、連載を終えることができたのではないだろうか。

ここまで、見捨て体験との向き合い方に注目して「はだしのゲン」における トラウマ記憶の表象を分析してきたが、もう一点、重要な論点が存在する。それ は、「はだしのゲン」に登場する「同じ顔」の登場人物たちの存在である。次節で は、それを「顔の反復」という問題系として捉え、分析していく。

顔の反復

「はだしのゲン」には、原爆によって焼け死んだ弟の「進次」と、ほとんど同「浮浪児」の少年が登場する6 。また、姉にそっくりの後姿 をした「夏江」という登場人物も存在する。廃墟のなかを歩く「ゲン」は、「隆太」を弟だと勘違いして一方的に再会を喜び、「夏江」を姉だと見間違えて抱きつく のである(振り向くと、顔に火傷の跡があり、夏江ではないことがすぐにわかるの だが)。

こうした出来事は、中沢啓治の創作ではない。実際に、原爆投下直後の広 島では、生き残った者が親族や友人、あるいはその死体を探し回り、見つけた と思えば人違いだとわかり落胆するという経験は、珍しいものではなかった(た とえば原民喜の短編小説「夏の花」の末尾に描かれた挿話がただちに思い浮 かぶ)。捜索する側は、身体的特徴を手がかりに、わずかな類似点を求めて人 を探す。しかし、探される側は、全身に傷を負い、煤や塵芥、さらには「黒い雨」で顔や身体を汚していたため、他人には一目で見分けがつかないということもじ顔をした「隆太」という [End Page 184] あり得たのである。中沢はおそらく、こうした出来事が広島ではしばしば見られ たことを知っており、それを作品のなかに取り入れたのだろう。

現実世界において「ほとんど同じ顔」というと一卵性双生児が思い浮か ぶが、どんな双子も「はだしのゲン」における「進次」と「隆太」ほどには似てい ない。マンガでは、人間の顔は多かれ少なかれ記号的に描かれるため、「ほと んど同じ顔」と実現してしまえるのだ。では、これは何を意味するのだろうか。

表面的に言えることがまずある。眼の前で死んだ弟とそっくりな「隆太」は、生き残った「ゲン」と母親の喪失感を、一時的に埋めることができる存在だった。 「ゲン」も母親も、それが一時的であることはわかっていながら、生きている家族をもう一度見たいと望み、「隆太」の身元を引き受けるのだ。家族にもう一 度会いたいと熱望するからこそ、「隆太」が弟の「進次」に見え、「夏江」の後ろ 姿に姉の姿を見るのである。そして、ともに時間を過ごすなかで、「隆太」は「進 次」の代替物であることを止め、「隆太」そのものになる。「夏江」も同じである。これもまた、トラウマ記憶から来る行動であり、トラウマ記憶と向き合うための行動なのだ。

さて、同じ顔という論点について、もう一つの事例を分析しよう。それは、 「ゲン」の妹で赤ん坊の「友子」をめぐる物語である。

「ゲン」の母親は、被爆直後に女の赤ん坊「友子」を産んでいる。その「友 子」が、原爆スラムに住む人びとに誘拐されるというエピソードがある。「友子」を誘拐したのは、左足がなく顔も半分焼けただれてしまった被爆者の男だっ た。しかし、彼は金や物品を要求するわけではない。彼は娘の心の傷を癒して やるために、「友子」を誘拐したのである。時期は原爆が落ちてから半年後の冬 である。

彼の娘は、夫と生まれたばかりの我が子を原爆によって失った経験を持っ ていた。正確に言うと、燃える瓦礫のなかを逃げ回るなかで生き別れたのであ り、娘はまだ我が子を亡くしたことを受け止められず、三カ月間、廃墟になった 広島を探し回っていた。そして、放射線障害を発症し、現在は床にふせりなが ら、「お父さん、泰子はまだどこかで生きている」と泣くのである。娘が死ぬ前 に、赤ん坊を抱かせてやりたい。彼は赤ん坊のいる家に「子どもを貸してくださ い、娘に抱かせたいのです」と依頼して回るが、「ピカの毒を持っている気持ち の悪い人に貸せるか」と、断られてしまう。娘に子どもを抱かせてやりたいが、打 つ手がない。こうした状況で、彼は「泰子」と瓜二つの「友子」を見かけ、誘拐を 決行する。誘拐した「友子」を連れて帰ると、喜んだのは娘だけではなかった。スラム街に住む近所の人びとは、「友子」を「お姫さま」と呼び、可愛がり、いつ しか「友子」は人びとの生きがいになっていく。スラム街の人たちは、ある意味 では「友子」を神のように扱っていたのだ。妹を取り返すために「ゲン」が抗議 [End Page 185] しても、スラム街の人びとは「友子」を返そうとせず、「ゲン」はリンチにあって しまう。そして、誘拐犯の娘が死んだ後も、人びとは「友子」を返そうとしない。

スラム街に住む人びとのなかには、子どもを原爆で亡くした人も多かった。そうした家庭でも、「友子」は可愛がられていた。「友子」はある家庭では「千 恵」、ある家庭では「秋江」という名前で呼ばれていた。「千恵」も「秋江」も、そ れぞれの家庭が亡くした子どもの名前である。先述のように、「友子」は一種の 生まれ変わり、あるいは変わり身として、赤ん坊を失った生存者たちの生きが いになっていたのだ。しかしながら、最終的に「友子」は放射線障害によって血 を吐いて死んでいく7 。かつて子どもを被爆で亡くした者たちが、その子どもと よく似た「友子」を誘拐して可愛がるが、「友子」は被爆により死ぬことで、「千 恵」や「秋江」の死を繰り返すのである。

同じ顔をめぐる上記の物語は、完全には治癒されることのないトラウマ記憶 を抱えた人間がとる行動と、そうした人間が抱く意識の様態を示しているよう で興味深い。実際、1960年代初頭に広島で被爆者への聴き取り調査を行った ロバート・リフトンは、被爆直後の広島では、被爆による悲しみから回復するた めに、子どもを求めて結婚・再婚するという例が多かったと指摘している8 。大災 害の後に子どもを求めるのは、ある意味では普遍的生存欲求なのかもしれな いが、「はだしのゲン」が描いたのは、それだけではない。それよりも重要なの は、登場人物たちが、同じ物語を反復しているという点だろう。「ゲン」をはじめ とする登場人物たちは、見捨て体験というトラウマ記憶にくり返し襲われるだけ でなく、「同じ顔」をめぐる喪失の物語を自ら反復している。そして、まさにその 反復によって、登場人物たちは原爆体験のほんとうの意味――すなわち、身 体的な傷だけではなく、また精神的な傷だけでもない、放射線障害という原爆 被害に特有の被害のあり方を理解するのだ。

「はだしのゲン」の現代的意義

トラウマに焦点を当ててきた本稿だが、最後に「はだしのゲン」の現代的 意義について、トラウマとの関連で、考察しておきたい。

考察に際して参考になるのは、「はだしのゲン」の閲覧制限問題であ る。2013年8月、島根県松江市内の学校図書館で「はだしのゲン」の閲覧が制限 されているという事実が明るみに出た。閲覧制限という措置は、そもそも、ある 市民が「はだしのゲン」が提示する歴史観を問題視し、松江市に学校図書館か ら「はだしのゲン」を撤去するように陳情したことに始まっている。これを受け た松江市の教育委員会は、「はだしのゲン」の描写が子どもには過激すぎると 判断した。結果的に松江市内の小中学校のうち、「はだしのゲン」を持っていた39校すべてが閉架措置を取ったのである9 。その後、世論の反対もあり、閉架措 [End Page 186] 置は撤回されたわけだが、現代における歴史認識問題の焦点の一つとして、こ のマンガがあることを再認識させられた。

そもそも、「はだしのゲン」を書くに際して、中沢啓治は次のような決意を固 めていた。

だれが戦争を仕掛けるのか、天皇制ファシズムのもとで、自由な言論も行動 も思想も奪われ、侵略戦争に突入していく過程を描かずして、戦争と原爆は 語れないと日ごろ思っていたから、父の特高警察に捕まり苦しんだ体験も取 り入れ、日本の暗い恐怖政治の部分をたっぷり描き込んでいきたい。10

このような問題意識に支えられた「はだしのゲン」が、現代において、イデ オロギー的側面のみを強調され、自国中心的な歴史観によって排撃されていると いうのが現状である。自国中心的な歴史観をより強固にしたいと願う者にとって、 「はだしのゲン」は読まれるべきではない物語であり、それが閉架措置を求め ることにつながっていったと理解できる。松江市で一時的に行われた「閉架措 置」というのは、ある意味で極めて象徴的な事態だった。自国を愛すると自称し て自国中心的な歴史観を強調する人びとにとって、左翼的(だと彼ら・彼女が感 じる)主張や表現は、たとえそれが過去のものであっても、許すことができない のであろう。しかし、そうした主張や表現を完全に消すことは不可能である。そ こで、彼ら・彼女らが求めたのは、「はだしのゲン」を、図書館に来る子どもたち の目に触れない場所(閉架)に封印し、抑圧することだった。彼ら・彼女らは、自 国文化の一つである「はだしのゲン」を自らの歴史に登録することを拒んでい るのである。

では、現代において、歴史観が対立する焦点となった「はだしのゲン」を、政治的・倫理的「正しさ」から引き離して読むことの意義は、どこにあるのだろう か。それを考察するために、1960年代後半の中沢啓治の実践を確認しよう。

中沢は、1968年に、被爆者を描いた一連の作品を立て続けに発表し始め た。第一作目は「黒い雨にうたれて」(『漫画パンチ』1968年5月29日号)。原爆 投下を個人的に断罪するため、外国人専用の殺し屋になった被爆者を描いた 作品である。「黒い雨にうたれて」の主人公である殺し屋の被爆者は、国家によ る補償を求める人間ではなく、むしろどのような種類の補償でも決して癒すこと のできない怒りと悲しみを抱く人間として描かれている。その証拠に、中沢啓 治は、「黒い雨に打たれて」のなかで、平和運動(ある立場からみれば「左翼運 動」とも呼ばれる)を極めて冷淡に描いている。そうした運動では十分にすくい 取ることのできない諸個人の感情を、見つめようとしていたのだろう。

「黒い雨に打たれて」のあとも、中沢は相次いで怒れる被爆者を描いたマン ガを発表していく。それらの中で描かれるのは、アメリカ人の客を取り、梅毒を伝 [End Page 187] 染させることで復讐しようとする売春婦の被爆者(「黒い川の流れに」『漫画パン チ』1968年7月10日号)、ベトナム戦争で使用される兵器の部品工場で働き、反戦 の思いからその工場の社長を殺してしまう被爆者(「黒い沈黙の果てに」『漫画パ ンチ』1968年8月29日号)、被爆による放射線障害の発症におびえ、売春婦の妹 に辛く当たる客引きの兄(「黒い鳩の群れに」『漫画パンチ』1969年6月11日号)な どだった。

これらの作品に通底する主題は、被爆者の怒りと悲しみである。中沢は、登場人物たちに、原爆を落としたアメリカへの怒りと、無謀な戦争に突き進んだ 日本の軍人と天皇への怒りを語らせるのである。加害と被害とを架橋する視点 に立つことで、アメリカと日本の政府の責任を問い直し、そこから平和を求める 回路を開こうとしたのだった。中沢がマンガを通して提起したのは、次のような 問題である。つまり、原爆について公的に語るときには、「平和への祈り」という言葉に象徴されるように、静かで穏やかな態度が良しとされてきたが、そのと きに捨象される私的な、耐えがたいほどの怒りや悲しみは、果たして全く意味 がないのだろうか、という問題だ。ある意味で実存主義的なこの問題は、政治 的な異議申し立て運動が若い世代を中心に未曾有の盛り上がりをみせていた1960年代末のこの時期の時代精神とも無縁ではなかった11

「はだしのゲン」は、こうした耐えがたいほどの怒りと悲しみとを、物語と して提示している。しかしながら、テッサ・モーリス・スズキが、『過去は死なな い:メディア・記憶・歴史』(岩波書店、2014年)で述べたように、「はだしのゲ ン」が『週刊少年ジャンプ』という媒体の特質上、「記憶に刻みこまれているイ メージのなかでもっとも陰惨ないくつかをこの作品から除外」しなければなら なかったという側面は、たしかに否定できない。中沢自身も、そのように証言し ている。とはいうものの、青年マンガに発表された中沢の諸作品をみても、被爆 直後の悲惨な描写は、「はだしのゲン」とほとんど変わらないし、『週刊少年ジ ャンプ』のあとに「はだしのゲン」が書き継がれた『市民』『文化評論』『教育評 論』といった大人向けの言論雑誌での描写をみても、その残酷さの程度は、『ジ ャンプ』のころと変わらない。したがって、中沢が「記憶に刻みこまれているイメ ージのなかでもっとも陰惨ないくつか」を描けなかったのだとすれば、それは 媒体の性質によるのではなく、端的に、描くことが不可能だったと理解するほう が合理的ではないだろうか。その理由は、中沢の表現技術の問題というよりは、 「記憶に刻みこまれているイメージのなかでもっとも陰惨ないくつか」というト ラウマ記憶とはそもそも表現不可能なのだと考えるのが自然だろう。

ここで参照すべきは、映画監督の吉田喜重の発言である。映画『鏡の女 たち』で広島の原爆を題材にした吉田は、被爆直後の凄惨な描写を再現するこ とはできないとして、次のように述べている。 [End Page 188]

これまでの原爆映画は、当時の写真やニュースフィルムを挿入したり、その 光景を虚構として再現することによって描こうとしました。現在ではデジタル 技術を使って原爆投下の瞬間、巨大なきのこ雲の鮮明な映像を作り出すこ とは容易です。焦土と化したなかに人びとのさ迷う姿を合成することも可能 です。しかし、こうした原爆の再現にどのような意味があるのか――あの瞬 間の閃光を見た人たちは死者であることを思えば、生き残った人間がそれ をみることができるはずはありません。それを虚構として再現できるはずは ないのです。12

映画とマンガという異なる表現を同列に並べることはできないが、それ でも吉田喜重の指摘は示唆に富んでいる。中沢の「記憶に刻みこまれているイ メージのなかでもっとも陰惨ないくつか」を、中沢自身が描こうとしても、中沢 がそれに至ることはできない。なぜなら、それは、生き残った人間が、「虚構と して再現できるはずはない」ものなのだから。

おわりに 歴史とトラウマ

日本では、広島と長崎に原爆が落とされたことは、誰もが知っている。し かし、単なる知識以上の思想や行動が生まれることは、現代においては、ほと んどないと言っていい。現代日本社会において、広島と長崎の被爆経験に思い を馳せることは、平和の祈りという誰もが賛同しうる行為と結びつくことで、政 治的・倫理的に「正しい」ものとされている。しかし、その「正しさ」は、結局のと ころ、「北朝鮮の核開発に遺憾の意を表明しながら、既存の核保有国について は黙認する」という態度に帰着しており、その意味では、極めて表面的だと言わ ざるを得ない。

たとえば、現代日本において、一方では核廃絶の主張が存在し、他方では日 本の安全はアメリカの核戦力によって保障されているという主張が存在してい るわけだが、被爆を想起し平和を祈るという態度が、異なる主張の対立点を霧消 させてしまっているのだ。さらに、被爆者の高齢化が言われて久しく、ますます過 去の原爆や現在の核兵器について語ろうという機運が弱まっている。こうした状 況で、広島・長崎の被爆体験や現代世界の核兵器の問題は、いっそう扱いにくい ものになっている。おそらく、松江市の閉架措置騒動の事例のような「はだしのゲ ン」の抑圧・否認の動きが表面化したのは、こうした現状と無縁ではないはずだ。

広島の原爆を扱ったマンガ『夕凪の街 桜の国』(2004年)や『この世界の 片隅に』(2008-2009年)が批評家から高く評価されたマンガ家・こうの史代も、現代における原爆の扱いにくさを証言している。彼女が描くマンガでは、被爆 [End Page 189] 後の広島が舞台であっても、『はだしのゲン』のような残酷描写や政治的主張 が顔を出さない。その意図を彼女は次のように述べている。

『はだしのゲン』というマンガは有名ですが、その後、原爆を扱ったマンガは非常に少ない。差別表現に対する規制が非常に強くなって、マンガ家自 身がこういうテーマを扱わなくなったからだと思います。文句や抗議を受け る前に自粛してしまうような、そういう風潮が長く続いていました。それで私 は、なるべくそういう規制に引っかかりにくい、マンガを読み込まないとわか らないようなつくりにしようと考えました。13

ここで示唆されているように、『はだしのゲン』が描かれた1970代と現代とで は、創作表現をとりまく社会のあり方に大きな違いがある。1990年代以降の日 本社会では、それが政治的なものであれ、人権や性表現に関するものであれ、何らかの偏見を助長するような表現に、マスメディアも書き手も読み手も、敏感 になっていたのである14

この傾向を意識して、こうの史代は被爆者への偏見を少しでも助長しかね ない表現を避けながら、原爆というテーマを描こうとした。被爆の遺伝的影響 や、生々しい火傷の跡、被爆者に対する差別、さらには明確な政治的主張など を明示的に描くのを避けながら、被爆者と被爆二世の人生を描くという困難な 作業に取り組んだのだった。「現代的な原爆マンガ」として称揚された『夕凪の 街 桜の国』の背景には、1990年代以降の原爆の「扱いにくさ」があったのだ。

日本では、小・中学校で被爆体験を学ぶ。また、毎年8月になると広島と 長崎の式典が全国規模で報道されている。原爆被害は、個人にとっても社会に とっても、どれだけ想像力を働かせて想起しても到達することのできない「トラ ウマ的な経験」だということもまた、一種の「常識」として理解されている。これ は皮肉なことである。日本には「さわらぬ神にたたりなし」という慣用句がある が、原爆被害の問題は、扱いにくい面倒な問題として、言い換えるならば「擬似 的なトラウマ的体験」として安置されているのだ。もしかしたら、1990年代の日 本社会で急速に進んだ「トラウマ」という言葉や「PTSD」、「フラッシュバック」という言葉の通俗的理解が、こうした現状に一定程度寄与してしまったのかも しれない。現在の日本社会において、原爆被害を想起することが、言葉本来の 意味での「トラウマ」になることない。直接体験者が急速に減り続けている現 代では、むしろ、原爆を想起しても何の苦痛もともなわないという人がほとんど なのではないか。現代日本社会において、原爆体験という歴史的出来事が「擬 似的なトラウマ的な体験」として処理されているのだとすれば、それは、原爆体 験が今なお抑圧され、否認されて続けていることを示していよう。『はだしのゲ [End Page 190] ン』は、その抑圧を解くための手がかりとして最適のテキストであることは疑い のないところである。

1. 福間良明「「原爆マンガ」のメディア史」(福間良明・吉村和真編『「はだしのゲン」がいた風景:マンガ・戦争・記憶』梓出版社、2006年)に依拠して、ここで掲載媒体の変化を整理し ておく。

『週刊少年ジャンプ』1973年6月4日号~1974年9月23日号

『市民』1975年9月号~1976年8月号

『文化評論』1977年7月号~1980年3月号

『教育評論』1982年4月号~1983年8月号、1984年3月号~1985年1月号、1986年4月 号~1987年2月号

2. キャシー・カルース「まえがき」キャシー・カルース、下河辺美知子監訳『トラウマへの探求:証言の不可能性と可能性』作品社、2000年、6頁。

3. 中沢啓治『「はだしのゲン」自伝』教育史料出版会、1994年、58頁。

4. キャシー・カルース、下河辺美知子訳『トラウマ・歴史・物語』みすず書房、2005年、90頁。

5. キャシー・カルース「まえがき」キャシー・カルース、下河辺美知子監訳『トラウマへの探求:証言の不可能性と可能性』作品社、2000年、6頁。

6. 「隆太」の登場については、主人公の弟的な存在は「少年マンガ」の作劇場の要請ではないかという吉村和真による指摘がある。「シンポジウム「『はだしのゲン』の多面性:第2部マンガ家が読む「ゲン」」『マンガ研究』22号、2016年、204頁。

7. 評論家の呉智英は、この場面を被爆後の広島における一種の「民間信仰」の表れではな いかという興味深い発言を残している。「シンポジウム『はだしのゲン』の多面性」『マンガ研 究』22号、2016年。

8. ロバート・J・リフトン、枡井迪夫・湯浅 信之・越智 通雄・松田 誠思訳『ヒロシマを生き抜く:精神史的考察』岩波書店、2009年。

9. 川口隆行「『はだしのゲン』閲覧制限事件」川口隆行編『〈原爆〉を読む文化事典』青弓社、2017年、70頁。

10. 中沢啓治『「はだしのゲン」自伝』教育史料出版会、1994年、209頁。

11. 山本昭宏「被爆者像のステレオタイプ化に関する一考察:映画『純愛物語』からテレビ特撮番組『怪奇大作戦』まで」『立命館言語文化研究』第28巻第3号、 2017年。

12. 吉田喜重「新作『鏡の女たち』を語る」『世界』2003年6月、260~261頁。

13. 「『夕凪の街桜の国』を歩く」『JMAマネジメントレビュー』2005年12月、23頁。

14. 1990年代以降、黒人描写が問題視されて絵本『ちびくろサンボ』が絶版になったり、手塚治虫のマンガが出荷停止になったりした。

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Additional Information

ISSN
2045-4740
Print ISSN
2162-3627
Pages
pp. 178-191
Launched on MUSE
2019-05-29
Open Access
No
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